神港教会説教
2004年4月11日


「婦人よ、なぜ泣いているのか」
ヨハネ 20:11-18

 「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」

 マリアは、泣くしかできない女性として、天使の前に立っています。十字架で亡くなられたイエス様の遺体が、墓から消えてしまったからです。天使との会話の最中に、マリアは人の気配を感じて振り向きます。そこに復活されたイエス様がおられます。しかしマリアは、イエス様と気付くことができません。イエス様は、「婦人よ、何故泣いているのか」と天使と同じ質問をされます。マリアは、泣き続けています。

 マリアは、「マリアム」と呼びかけられて、イエス様と気付きました。その時、マリアは、イエス様を「ラボニ」と呼びました。この「ラボニ」は、マリアが生前に何度も何度も主に語りかけていた呼び名だったことでしょう。死でもって別れた二人が、生前の名前で呼び合っています。ここには、地上においてイエス様を慕い信じていた女性が、死を乗り越えて、イエス様と再会する美しい物語が描かれています。

 復活は、嘆き悲しんでいる者が見た幻想ではなく、復活の主は、悲しんでいる者の心の中に蘇られたのでもありません。復活は、誰に対しても事実として語られるべき事柄です。そのことを踏まえた上で、イエス様のために泣き続けているマリアが、復活の主と出会った最初の証人であります。当時の社会では、女性は、裁判における発言能力がない者とされていました。にもかかわらず、誰よりもイエス様のために涙する者が、最初の証人として立てられていることを覚えねばなりません。

   しかし、イエス様はマリアに「すがりつくのはよしなさい」と語られました。これは、マリアが「先生」と言って、すがりついていたことを表しています。復活後のイエス様の再会に酔いしれるマリアに、まだ、イエス様の御業は完結していないということを教え、諭す言葉が、「すがりつくのはよしなさい」です。イエス様は、その理由を「まだ天の父のもとに昇っていない」と語られました。天に昇るとは、地上の弟子達のために天に住まいを用意するためです。イエス様を信じる者が、命であり道であり真理であるイエス様を通して、天の父なる神様へと至ることができるように、イエス様は父のもとに昇らねばなりませんでした。復活の主との出会いは、死んで蘇ったお方と、生前のように再会することではありません。イエス様が、十字架で死に、蘇られ、天に昇られ、私たちをイエス様の父なる神様と結びつけてくださったのです。私たちとイエス様との関係は、地上の子弟関係で終わらず、イエス様の父なる神様を私の父と呼べる関係です。生と死の断絶、死別の悲しみのなかでも、私たちは復活の主によって神の子です。『ハレルヤ! 主は、蘇られた。』
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