神港教会説教
2004年4月4日


「自分の命を献げるために」
マタイ 20:17-28

  「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

 仕える者になるとは、自分が仕える者であることを喜ぶことです。仕えてもらいたくて仕方がないのに、それができないから、仕える者として甘んじるのではありません。神の国における偉い人とは、喜びをもって人に仕える者です。「仕える」という言葉は、食事のときにご飯の給仕をすることであり、奴隷のように他人の足を洗うことを意味しています。仕えるとは、具体的な仕事で人の役に立つことを行うことです。偉くなりたいと願う者は、権力で押さえつけるのではなく、仕事ができる有能な人にならねばなりません。この理解は間違っていませんが、用心が必要です。

 イエス様は、18章で、「誰が偉いか」と問う弟子達に一番偉くないと思われる者を心から受け入れる者になるように、と命じておられます(18章5節)。また7回を70倍するまで罪を犯し続ける愚かな者がいるとしても、常識を越えた仕方で赦し続け、受け入れ続けることを求められました(18章22節)。20章では、最初からイエス様の下で働いている弟子達に、後から来た者をも同じように受け入れるべきことを諭しておられます。神の国における偉い人とは、仕事ができる有能な人であるより、弱い人も含め皆を受け入れることができる人です。

 更に、今日のテキストでは、仕えることをイエス様のご受難との関わりで語っています。奴隷を買い取るために相応しい代金を支払うように、イエス様は、多くの人を罪の支配下から解放し神の国に移し入れるために、ご自分の命をその身代金として献げてくださいました。イエス様は、神の御子としての貴いご自分の命を、惜しげもなく、神に背くすべての罪人たちのために、十字架に注ぎだしてくださいました。これが、イエス様の仕える御業です。

そして、イエス様がご自分の命を献げるように、あなた方も仕える者になりなさい、と命じておられます。私たちは、自分の命を献げても罪の贖いをすることはできませんが、それでも、イエス様は弟子達に、同様に、命を献げることを求めておられます。それが、本当の意味での仕えることだからです。人に仕えるとは、他者のために自分の命を注ぎ出すことです。イエス様の弟子達は、復活の主と出会った後イエス様がこのように仕えてくださったことに感謝して、イエス様のように人々に仕える人生を歩み始めました。イエス様は、私たちが仕える者となれるようにと、私たちに仕えていてくださいます。
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