神港教会説教
2004年3月28日


「天国の経済学」
マタイ 19:30-20:16

『わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる(14〜16節)。

 この譬えは、12弟子に向けて語られたものです。弟子達は、一番先にすべてを捨てて従ったのだから、より多くの報酬を頂けるのではないかと期待していました。イエス様は、確かに、家をも捨てて従った弟子達に豊かな報いを約束されました。しかし、イエス様は、その後すぐ、「先の者が後になり、後の者が先になる」という逆転をこの譬えでもって警告しておられます。

 最初から働いた人は、当初の契約によって1デナリオンを稼ぎました。後から働いた人は、賃金契約を結ばずに働いたのですが、最初から働いた人と同じ1デナリオンをもらいました。最初から働いた人は、「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは」と主人に不公平を訴えています(12節)。それに対して、主人は「あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか」と答えています(14節)。さらに主人は、働かなくても同じ額をもらった者がいると訴える彼らに対して、「わたしの気前のよさをねたむのか」(15)と問い返しておられます。

 最後の人は、働きたかったのですが、誰にも雇われずに夕方の5時まで広場に立ちつくしていました。そのとき、このご主人と出会い、一時間だけ働きました。そして、朝から働いた人と同額の一日分の賃金を頂きました。主人は、彼らは十分に働いてはいないが、彼らも一日分の給与を必要としていることを知り、気前よく払ったのです。彼らは、このような恩恵を受けるとは予期していなかったでしょう。一デナリオンを頂いて、感謝するしかありません。

 この譬えは、自分を誰の立場において、考えているのかを問い掛けるものです。この譬えを不公平だと怒る人は、自分が日の出前から働いた人の立場で読んでいます。自分を5時に雇われ同じ恵みを受けた者の立場で読めば、ご主人の気前の良さに感謝するしかありません。誰にも雇ってもらえず、時が流れていく悲しさを、知っている者のみが、天の国の恵みに心から感謝することができます。この悲しさを知らずして、一番先を走り続ける者は、そのままでは、天の国では最後の者となってしまいます。神様の恵みである永遠の命を頂いて、最後の人のように感謝する者が、天の国に一番相応しい人です。天の国とは、最後の者に注がれる神の憐れみが溢れている場所であり、その気前の良さを妬むことなく喜ぶことができる者に開かれています。
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