神港教会説教
2004年3月14日


「何をしても満たされない」
(説教抜粋)
マタイ 19:16-30

 「重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。(24〜26節)

 当時の世界で一番大きな動物であるラクダが、一番小さな針の穴を通ることは、最大級の困難さを表しています。イエス様は、金持ちが天の国に入ることができるなら、ラクダだって簡単に針の穴を通ることができると語られました。イエス様は、この格言で、金持ちが天の国に入ることがどれほど困難であるかを語っておられます。お金とは、わたしたちの生活を保障するものであります。お金があるから、ご飯を食べることができ、子供に教育を授けることができ、病気になっても治療を受けることができ、老後の心配もいりません。当時の理解では、お金があるとは、神様からの祝福の徴でした。これは、「当時」と説明しなくても、今日でも同様でしょう。神様から豊かな祝福を受けている人は、神の国の祝福に一番近いと思われていました。しかし、イエス様は、彼らこそ、一番遠いところにいる人たちであると語られました。弟子達が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と問うたのも、うなずけます。

 信仰生活とは、自分を捨ててイエス様に従うことです。その際、大きな自分を抱えている者ほど、自分を捨てることができません。イエス様は、金持ちの青年を指導して、祝福の徴と思われていたものが、実は、永遠の命から遠ざける躓きとなっていることに目を開いてくださいました。冨の祝福を豊かに受けることによって、それにしがみつき、神の国という、より大きな祝福から漏れてしまう危険です。金持ちの青年は、イエス様の教えを聞いて、自らが金持ちであることを生まれて初めて嘆いたのではないでしょうか。金持ちの救いは、金持ちであることを嘆くところから始まります。

 金持ちの青年は、自分の力により何かをしても、本当にすべきことがまだできていないという焦りを抱えていました。ですから、彼は「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」とイエス様に質問しています。彼には永遠の命が与えられているという確信がなく、彼は善いことを行うことによってその確信が得られると思い込んでいます。しかし、イエス様は「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われました。イエス様によれば、永遠の命とは人が自分の力で得ることは不可能であり、不可能を可能に変える神の恵みによって与えられるものです。ラクダが針をの穴を通るよりも困難な、金持ちが神の国に入ることも、神にとっては可能です。力ある者の悲劇は、自らの力に頼り、自分の力を超えた神の恵みの奇跡を求めないことです。永遠の命は、神の御業に参与するなかで輝いています。
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