神港教会説教
2004年2月29日
「心が頑固な夫と妻」
マタイ 19:1-12
「創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」 そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 (4〜6節)
上記の御言葉は、創造の秩序に基づく、夫婦間のあり方を表しています。創造主が、人を男と女に造り、その神様が男と女を一つになし、夫婦として結びあわせてくださいました。ですから、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(6節)のです。この教えを聞いたファリサイ人は、「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか」(7節)と問い返しています。それに対するイエス様の見解は、「モーセは、人々の心が頑なだから離婚を容認したに過ぎず、離縁状さえ書けば離縁できると定めた訳ではない」というものです。イエス様によれば、モーセ律法の手続きを踏んで離婚したという理由で、離婚を神の御前に正当化できるものではありません。イエス様は、堕落後に与えられたモーセ律法を堕落以前の創造の秩序によって再解釈しておられます。
この教えを聞いたイエス様の弟子達は、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」(10節)と答えています。当時は、料理を焦がしただけでも離婚の理由に数えられるような男性中心の社会でした。また、男性のみが、離縁状を書いて離婚する権利をもっていました。お弟子さんといえど時代の子で、彼らは、離婚できる夫の権利を手放してまで、結婚関係を維持するほどの夫婦関係を想像することができませんでした。イエス様は、独身の方がましだとの発言を受けて、「天の国のために結婚しない者もいる」(12節)と語られました。イエス様と使徒パウロは実際に独身でしたし、カトリックの司祭や修道女も独身です。
イエス様は、再婚してはいけないとか、献身したら独身でなければならないとか、一般的な規則を定めようとしておられるのではありません。御言葉を規則に変え自らを正当化するのは、ファリサイ人です。御言葉は、私たちの心の頑なさに反省を促すものです。私たちの「男らしさ」と「女らしさ」の意地の張り合いが、結婚関係を損なっているのもしれません。堕落した男らしさのプライドを比喩的な意味で去勢しても、堕落前の創造の秩序を尊び、夫婦が一つであり続けることが、イエス様の願いです。結婚関係の神聖さに思いを向けましょう。また、受け入れることができる人(12節)は、その結婚生活をも犠牲にして独身を貫き、神の国の祝福に生きる人生に心を開きましょう。イエス様は、結婚生活においても、独身生活においても、神の国のために生きる人生を与えてくださいます。
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