神港教会説教
2004年2月22日


「490回の赦し」
マタイ 18:21-35

そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」(21〜22節)

 7回まで赦すとは、当時は3回までが常識でしたので寛容さを表していますが、8回目は赦さないというものです。それに対してイエス様は、7回を70倍するまで赦すように求めました。この御言葉に続き、イエス様は譬えを話されました。大王から6000億円の負債を赦された領主は、その後、自分に100万円の借金をしている僕と出会いました。その際、すぐに返せと首を絞め、彼が待ってくれと頼んでも、即座に獄に投げ込みました。そのことが大王の耳に入ったとき、大王は立腹しその領主を死ぬまで続く刑罰に引き渡しました。そして、イエス様は、この譬えの締め括りに「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」と語られました。心から赦さない者は、天の父なる神様から無慈悲な領主と同じ扱いを受けることになります。

 100万円を借りて返さないとすれば、それだけで、獄に投げ込むに値する十分な罪です。しかし、6000億円の負債を赦された者は、100万円の借財ぐらいなら相手を赦す義務を負っています。490回赦し続けたところで4億9千万円です。大きなお金ですが、6000億円とは比べものになりません。6000億円の負債は、私たちが神様に犯している罪の負債です。これは、庶民の感覚からすれば実感がわかない程の大きさです。自分の力では、決して返済できません。他方、100万円の負債は、人間関係の間で生じている罪の負債です。実感としては、うやむやには絶対にできない額です。しかし、他人の罪が実感として100万円ほどの大きさに見えているとき、自分は実感を越えた6000億円もの負債を神様から赦して頂いていることに気付くことが、信仰です。信仰とは、自分では返済できない巨額の罪の負債を、イエス様が十字架の贖いによって赦してくださったことを信じ、感謝することです。

 私たちは、心からは赦していないが、大人の付き合いと称して、赦した振りをしているだけの付き合いをしている場合があります。しかし、途方もない大きな罪を神様によって赦された自分が、それと比べるなら小さな他人の罪を赦さないとは、自らの無慈悲さを表しているに過ぎません。心から赦せない自分の罪に気付くとき、このような者をも受け入れてくださる神様の赦しの大きさを実感できます。そして、心から赦す者になりたい、と真剣に祈り求める者に変えられます。神様の無限の赦しに感謝し、7回を70倍する心からの無限の赦しを与える者となることを願い求めましょう。 
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