神港教会説教
2004年2月15日
「友を得る忠告」
マタイ 18:15-20
19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。
イエス様がともにいてくださるという20節の約束は、15節以降の罪の問題との関わりで記されています。最近は、他人の好ましくない行動を見ても、なかなか忠告しません。それにより何が起こるか分からないからです。しかし、教会においても罪の指摘がなされないなら、教会のなかに罪が蔓延することになります。その結果、罪を犯した人は神様に裁かれ、その人に躓く者は教会から離れます。キリスト者の交わりは、お互いから罪を取り除く愛と勇気によって保たれます。
その際、「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」(16節)とあります。他人の罪に気付いたとき、その罪をうわさ話の種にしてはならないと記されています。人の悪口を言いたいという欲望を治めねばなりません。イエス様は、直接その人に助言することを求めておられます。もし言わないのなら、それは、言わなくても良いほど些細なことだからです。それが重大な罪であるなら、面と向かって指摘し、その罪を取り除くことが必要です。
また、私たちが罪を犯すとき、率直に助言してくれる友を大切にしましょう。言いたくないことをあえて言ってくださるのですから、真摯に耳を傾けることが必要です。罪の指摘は、罪を裁くために行っているのでありません。罪に気付くことにより、罪から離れることができるためです。赦し合って生きるためです。言わないままにしておくなら、相手に対する憎しみと軽蔑が心に宿り続けます。それによりキリスト者の交わりは、形骸化し命を失います。教会の命は、罪の悔い改めと赦し合いのなかにあります。
罪と戦う厳しさを受けて、19〜20節の御言葉が語り出されます。ここに集う二三人は、文脈上、罪を指摘し、罪の赦しを求めて集まっている者たちです。罪を指摘して気まずさが漂っていても、心を合わせて、当人同士が、また、二三人が罪の赦しのために祈り合うなら、その祈りは必ず聞かれると約束されています。そのような祈りの場にこそ、イエス様が臨在してくださいます。イエス様の名によって「罪を赦し給え」と祈る祈りに、イエス様が「アーメン」と唱和してくださいます。十字架の贖いによって罪を赦してくださったイエス様は、罪に苦悩する私たちのなかにおられます。主・イエス・キリストが、ともに執り成しの祈りを祈ってくださいますので、罪ある私たちであってもキリストの教会に留まることができます。
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