神港教会説教
2004年2月8日


「小さき者への父の愛」
(説教抜粋)
マタイ 18:1-14

 ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。 (12-14節)

 ルカによる福音書の「失われた羊の喩え」では、罪人や徴税人が、失われた羊に喩えられています。神を知らない罪人が悔い改めて立ち返る喜びが、描かれています。ルカは、伝道を促す喩えとして記しています。マタイによる福音書における「迷子の羊」は、この世や教会で躓き、教会から迷い出てしまった信徒です。マタイは、この喩えによって、99人の信徒を教会に残して、迷い出た1人を探すために全力を傾けるようにと促しています。

 教会に躓き教会から離れていった信徒を探し求める努力は、ある意味で、未信者を導くことより困難です。その労苦を考えると、「去る者は追わず」と割り切り、新しい方々への伝道に徹するほうが効率がいいと教会内で語られることもあります。しかし、日本における教会成長の沈滞は、伝道の不振ではなく、信者になった者が離れていくことに本当の原因があります。マタイは、未信者への伝道の熱心と同じ熱心で、教会から失われた信徒の信仰復帰のために祈りと熱意を傾けることを求めています。ここに記されていますことは、私たちの伝道牧会の根源を問い直させる御言葉です。

 14節には「これらの小さい者が一人でも滅びることは、あなた方の天の父の御心ではない」と記されています。滅びるとは、天の国から閉めだされることです。命にあずかることができなくなることです。天の父は、小さい者が躓いて教会から離れイエス様からも離れ滅びることを、望んでおられません。天の父の望みは、迷いでてしまった小さな者が、信仰に立ち返り教会に立ち返り、ともどもに命にあずかることです。そして、一度迷い出た羊は、自力ではなかなか帰れません。誰かが、探しに来てくれるのを待っているのです。天の父なる神様は、教会に来ている人だけでなく、教会から迷い出た方々のことを、ずっと心にかけ、教会が彼らを探しに行くのを求めておられます。

 私たちがいま教会に留まっておれるのも、迷い出そうになったときに、多くの信仰の友が心配し励ましてくれたからです。今度は、私たちが失われた魂を探しに行く番です。父なる神は、信仰から躓いた者がそのまま滅びることを願っておられません。その父の愛を信じて、何時の日かともどもに喜ぶ日が与えられることを信じて、祈りにおいて探し続けて歩みましょう。

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