私の好きな聖書の中の聖句

「あなたにとって印象に残る聖句を教えてください。そして一言。」

さてなんと答えていただけたでしょうか。届いた順番に載せていきたいと思います。


私の好きな聖書 : 高橋 智子

あなたの御言葉は、わたしの道の光

  わたしの歩みを照らす灯。




私が愛用している栞には

「聖言はわが足の燈火 わが路の火なり」と書いてあります。

小心ものなので、つまらぬ事で落ち込みくよくよしますが、

そんな時はイザヤ書53章を読んで、早目に寝ることにしています。



私の好きな聖書 : 西川 明子

これらのことは前例として彼らに起こったのです。

それが書き伝えられているのは、

時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。

だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。

神は真実な方です。

あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、

試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

コリントの信徒への手紙一 10章11節〜13節




子育ての時に思い悩んだり、迷った時に励まされ力づけられ、

今も心に響く聖句です。





私の好きな聖書 : 岩崎 妙子

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。

栄光が神に永遠にありますように。

ローマの信徒への手紙 11章36節

神様から程遠いと思える日常の一つ一つの出来事も、

すべて神様の手のうちにあることを覚えさせてくれます。

最後のアーメンが大好きです。

 


私の好きな聖書 : 牧野 光太郎

あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。

光の子として歩みなさい。

エフェソの信徒への手紙 5章8節

私の名前の由来となった一節です。

光の子として歩むのは容易ではありません。が、

自分のできる限り、

主の喜ばれる日々を送りたいです。

 

 

私の好きな聖書 : 松岡 斉

 

強く、また雄々しくあれ。

恐れてはならない。

彼らのゆえにうろたえてはならない。

あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。

あなたを見放すことも、見捨てられることもない。

申命記 31章6節

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」マルコ4・40と、

私共を彼岸へと日々に導いて下さっている主の愛を知りながらも、

目前の波風にうろたえ、心痛に翻弄(ほんろう)される信仰の弱い私です。

しかし、地上に生をうけるまえより、

この者を省みてくださった主がそのような弱さをはるかに超えて、

深く愛して下さっていることは大きな喜びであり(ローマ8・39)、

私にとって申命記31:6は座右の銘として大きな慰めとなっております。

今年はからずも大森篤子先生に当該聖句を浄書していただくことが叶い、

田中剛二牧師の説教集ともども今やわが家の家宝となっております。

 

 

私の好きな聖書 : 玄元 清子

 

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。

それは平和の計画であって、災いの計画ではない。

将来と希望を与えるものである。

エレミア書 29章11節

将来に不安を覚えるとき、試練にあうとき、

この御言葉がいつも支えてくれます。

 

 

私の好きな聖書 : 信 徒

 

口でイエスは主であると公(おおやけ)に言い表し、

心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、

あなたは救われるからです。

実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。

ローマの信徒への手紙10章9−10節

はじめて教会に行くようになってから、

一年以上も信仰の確信が得られずに悩んでいました。

そのような私に、この聖句が与えられたのです。

それまでも何度も聞かされていた言葉でしたが、

この時に「はい、その通りです。」と心から思えたのでした。

信仰の確信は自分自身にはなく、

神の言葉によるのだと実感しました。

 

 

私の好きな聖書 : 矢村 篤子

 

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に収めています。

この並外れて偉大な力が神のものであって、

わたしたちから出たものでないことがあきらかになるために。

わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、

途方に暮れても失望せず、

虐げられても見捨てられず、

打ち倒されても滅ぼされない。

わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、

イエスの命がこの体に現れるために。

コリントの信徒への手紙 二 4章7−10節

私が小学校六年生頃のある聖日、聖書学校の分級で、

なぜか田中剛二牧師夫人、みどり先生が私一人を担当してくださり、

このみことばを解説してくださいました。

とくに、「途方に暮れても失望せず」という一節、

当時使われていた文語訳聖書の、

「為ん方つくれども希望を失はず(せんかたつくれどものぞみをうしなわず)」と言うみことばが、

その美しい響きとともに耳奥に残りました。

それ以後の生涯のさまざまな局面で、

このみことばによりどんなにか慰められ、力づけられて来たことでしょう。

そしてこれから残された日々の中でも、

キリストの恵みによるこの望が与えられ続けられますように祈ります。

 



岡田 啓司(教会長老)

 

ヨハネの黙示録21章
 1:わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。2:更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。3:そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、4:彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」


聖書はすばらしいホームぺジだ。「全能の神は天地を造って私達にお与えになった」と創世記で語り始める。黙示録は、まだ見たこともない「新しい天地」について大胆に伝えている。神様からの招待状をそえて! 神と共に住める世界、この世の労苦のないところに安住出来る幸せ、時間を超えた永遠の命に生きる場所とは…、この続きはお手もとの「聖書」のホームページへ。
岡田啓司61歳

 

平田 幸也(教会長老)
   
 

エフェソ4:29(ただ、聞く人に恵みが与えられるよう
に、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。)

日常生活を振り返ると、言わなければならない大切なことを言うこ
とができない一方で、何と空疎で無駄なおしゃべりばかりしている
のかと、我ながら愕然とします。そこには、一時的な面白さや楽し
さはあったかもしれませんが、正直に言えばさまざまな愚かな話、
陰口、下品な冗談、さらには人に不快な思いをさせたり、傷つけた
りするような害毒すら含まれていました。そのような私が思いがけ
ず、中高生に聖書の話をすることになりました。聖書を学ぶことは
とても楽しく、恵みの時、いや至福の時ですらありますが、その喜
びを言葉にして人に伝えることの何と難しいことか。
そのような喜びと苦しみのはざまで、この聖書の言葉に出会いまし
た。私の現在の(そしておそらく永遠の)目標です。


杉本 孟久(教会長老)

 

コリントの信徒への手紙一 1章18節

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち
救われる者には神の力です。

(一言)
聖書は、神様ご自身の救いについて語られています。
神様のひとり子イエス・キリストが、私たちの罪の贖いとして十字架に死んで
くださり、私たちに永遠の命を与えるために三日目に甦ってくださいました。
聖書は木にかけられる者は呪われるとあります。
罪のない神の御子が私たちの罪の為にその身代わりとなり呪いとなられました。
十字架の言葉は、罪のための犠牲と救いについて、その福音の事実と
神様の知恵が語られています。
十字架の教理のみが、私たち罪人を救いに導く神の力であります。
真の神様を信じる者、十字架にこそ神様の愛と、罪の赦し、永遠の命が
約束されています。
皆様方がこの素晴らしい救いにあずかって下さり、人生を根底から変えて
下さることを心からお勧めいたします。

 

矢野 三郎(教会長老

 

テサロニケの信徒への手紙(一) 5章16節〜18節

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、
神があなたに望んでおられることです。

(一言)
信仰の喜びは、人間がつくる喜びではない。
生来の人間にとって、決して喜びとはいえないような苦しみの
中にあって、霊的な喜びが与えられる。
この喜びから、感謝が溢れ出てくる。
神様は私たちがどんなことにも感謝できるようにして下さる。
かつて、迫害を受けていたキリスト教徒たちは平穏な環境に
生きていた人たちよりもずっとキリスト教的喜びの秘訣を知っていた。
私たちは、キリストが十字架上でお受けになった傷によって癒された。
ここに、私たちが喜びと感謝の生活を送ることの出来る根拠がある。
それは祈りの生活である。